ひらがなが漢字の草書体をもとにしてできたと考える時、「つ」の元は「川」であるとされるのが多い。それが正しいとすれば、なぜ「川」が「つ」と読めるのかが疑問になる。
ちなみに漢字「川」のよみには「セン」がある。このことを考えると、「つ」とよむのは漢字の音ではなくて意味を利用して字を当てたと考えられる。「山」のよみに「サン」ではなくて「やま」を当てるのと同じ方法である。
江戸時代の年貢を納める手順を調べるとコメの産地の貯蔵庫「郷倉」から船積みの場所「津出し場」まで運んで「津出し」する。「津出し」は廻船に積み込むことをいう。
こういうときの「津」は「みなと」をいう語である。輸送経路が海である場合も川である場合も船積みする「みなと」が津である。川筋の「津」を意味するつもりで、川から離れた地域で「津」のかわりに「川」ということが生じる可能性は小さくないと考える。ここに「つ」が「かわ」に代わる可能性があった。ここで「川」の読みに「つ」が当てられるようになったと考える。これは江戸時代の用語からの考察ではあるが、古い時代にこういう交替がすでに起きていたと想像する。輸送経路あるいは運送の歴史を考える時、陸路より海路または水路によるほうが便利であったろうことは明らかである。輸送に関係する「つ」が探索できれば解明できるだろう。「つ」と「かわ」の交替を証するような事例が発見されることを期待している。(2019/6)
高齢者の運転が引き起こす交通事故が立て続けに起きて、高齢者は免許証を返納したほうが良いという意見が強まっている。理屈で考えると、ことは免許証の問題ではなく、高齢になったがために判断力が鈍ったり、身体機能が衰えたりするために運転技能が低下することに問題がある。だから議論の的は高齢者は運転をやめたほうが良いということである。してみれば、免許証を返納しなくても、運転することをやめさえすればいいのではないか。自分の運転がどうも危なっかしいなと思えば運転しなければいいのである。
池袋での87歳の男性、福岡の81歳の男性、どちらも1年前に免許証返納をしたほうがいいだろうと言うのを知人が聞いている。なぜその時に運転をやめなかったのだろうか不思議である。要は自分で決断できなかっただけのことではないのか。決められない人たちだ。
交通の不便な地域に住んでいるなら、とるべき方法は別に考えなくてはならないが、うえの事例は市街地でのことである。タクシー利用の便もあるだろう。所有するための税金を払って、ガソリン買ってまで死出の旅をお急ぎならば、独りででかけて、他人に迷惑をかけないようにお願いしたい。
ところで、免許証返納というが、言葉の響きはお上にお返し申し上げるように感じられる。試験に合格して交付された免許証を返すには申請しなくてはならないとは何か変だ。申請とはお願いではないか。何をお願いするかといえば、免許の取り消しをお願いするのだ。有効な免許証を持っている人が、免許取り消しを申請して、それが受理されて取り消される。道路交通法103条には免許取り消しの規程があるが、これは交通違反などの処分としての取り消しである。ここで話題にしているのは、自主返納による取り消しであって、処分による取り消しとは区別して申請取消という。
有効な免許証を自主的に返納するためには、その旨を申請して許可を取り消してもらわなくてはならないという決まりだ。
免許を証明する免許証は公文書であるので潜在的に所有権は国にある。だから取り消されて失効した免許証は速やかに返納しなくてはならないという理屈である。違反すれば2万円以下の罰金だとある。それでいて刑事訴訟法に規定された公訴期限が免許証の場合は3年なので、それを過ぎれば罰金を課することができなくなると説明されている。だからといって、免許証更新を無視して失効した免許証を保有しても、刑事がムキになって捜索に来るということはない。
ここまで書いてきて、一つ引っかかったことがある。処分で取り消された免許証は返納する義務があるから、返納しなければ義務違反が生じる。ところが自主返納では返さなければ取り消しにもならない。返す義務は生じないから違反もないという説もある。失効した免許証を長年持っていた人が死亡した場合、遺族はできるだけはやく返せという指導もある。これは悪用されることを防ぐ意味だそうである。
自主返納した場合、返納から5年以内に申請すれば運転経歴証明書をもらえる。この証明書は身分証明証の代わりになる。自主返納制度ができる時に、運転免許証を身分証明書として利用している人たちが困るというので、代わりの証明書を作ることにしたのだそうだ。法的な身分証明書を用意していない日本の国の制度不備を補う措置と言えようか。
運転経歴証明書の持ち主が死亡した場合には、早く返せという指導はないそうだ。
自主返納を申請したご褒美に特典を用意している自治体もある。これも申請しなければもらえないし、特典というのもなにかおかしな感じがする。もともと運転免許が特権的に考えられていた時代の名残りかもしれない。
運転経歴証明書と別に運転免許経歴証明書があるのは紛らわしい。後者は職業運転者の場合に必要な書類で、自主返納とは無関係である。もっと言えば運転記録証明書もある。運転手を雇用する時に、対象者が過去に受けた行政処分を参照するために使用されるそうだ。以上いろいろ書いてはみたが、どうも返納という用語といい、取扱いといい、はっきりしない部分がつきまとう。
筆者の経験からは、このほかにも日本の国際免許証や外国の運転免許証とその翻訳についてなど、腑に落ちない取扱いがあって、いずれも日常業務に支障なく行政の指導に合わせることが難しい側面がある。国境を超えた場合への対応が万全でない事に起因する問題点だと思う。
筆者が海外駐在をした当時は、滞在国の人から総選挙の投票のために帰国しないのか、と問われて何を訊かれているのか、すぐには理解できなかった。英国人なら休暇をもらえて帰国するとのことだった。今で言えば最高裁判所の裁判官審査投票と同じ問題である。
駐在を終えて帰国した時に、使用していた外国の運転免許証を提示して日本の免許証を貰おうとして警察署の窓口でスッタモンダしたこともあった。法令的には警察の言い分が妥当だったようだが、当方は一日たりとも免許証のために仕事を休むことはできないから頑張ったが、結果は窓口担当者ではなく、その上司の裁量で日本の免許証を出してくれた。ただしその日に初めて取得したことにされて、それまでの運転経歴25年間が消えてしまった。免許証に関しては転勤で引っ越すたびに住所変更を届けなくてはならず、警察はいつも難癖をつけられるためにある役所に思えたものであるが、この文章を書くために道交法の章文をあたってみると、入れ子の連続文から必要な意味をとるのに苦労した。あれでは警察官の頭脳から柔軟な発想が出ることはまず期待できそうにないとあらためて感心した。(2019/6)