この頃急速に脚の筋肉が弱くなった、歩くことが少ないからだろう。外へ出る用がない。4階分下の郵便受けまで朝夕新聞を取りに行くこと、週2回のゴミ出し。月に一度クリニックで処方をもらって薬局に行く。時折、向かいのショッピングセンター、たまに駅前からバスで図書館へ行くぐらい。どれもせいぜい4千歩あまりだ。これらを通じて以前より衰えている実感がある。
3、4年ほど前、筋肉の衰えを防ぐため、階段の上り下りにエレベーターを使わないようにしていたことがあるが、ある時思いがけなく転んだ。多分つま先が上がらなくなっていたところに渡り通路の金属の継ぎ目が引っかかったのだろう。その前には滑らない底の靴を履いていたときにショッピングセンターのきれいなタイル床につまづいた。どちらの場合も前のめりに倒れたから顎を打った。どちらの場合も杖は持っていなかった。以後、転ばぬ先の杖を持つようにした。
今朝、所用で柏の年金センターに出向いた。普通の人で駅から徒歩5分の距離である。
ビルの入口、10センチあまりの段差が二段。この日は足の動きが良くなかったが、自宅から駅まで歩き、電車で来た。風の強い日だったので風当たりの強くない経路を辿って大回りしてようやく目指すビルの前まで来た。やれやれと思いながら一瞬ためらったが、左足を一段上にかけ、次いで引き上げたつもりの右足が上がらずに段差に当たって横向きに転倒した。ということは無意識のうちに体は前のめりになっていたのだろう。杖を持った右手の肘と左手で反射的に顔と体をまもった自然の動作で顎もメガネも補聴器も無事だったが、そのまま段差に斜めになった体が起き上がれない。もがいているところに通りがかった女性が大丈夫ですかと声をかけてくれた。しかし60キロの体を起こしてくれるには無理だ。女性がかまってくれたおかげで、気付いた通りがかりの男性が一人二人と寄ってきて大丈夫ですかと気遣ってくれた。一人が肘を出して掴まれと言ってくれ、別の一人が腕を掴んで引っ張りあげてくれた。おかげで立つことができた。まったくだらしのないことだが、こんなことは初めてだ。いままでは転んでも自分で起き上がれたのに、どうしたことだろうか、未だに良く分からない。転倒して気もテントウ?洒落にもならない。それにしても通りすがりの人たちは親切だった。男性はふたりとも5、60歳代の感じで背広族ではない。気立ての良い人たちだと嬉しかったが、顔を覚えていない。立ち上がってから、脚の具合が気になって一歩また一歩と確かめた。立ち上がったとき、頭を下げてお礼を言った。しかし、実際はお礼より自分の脚の安定のことが先立って気になっていたのだ。男たちはしばらく見守ってくれていた。落ち着いてから考えた。もっと相手の目や顔をよくみてお礼を言うべきであった。ほんとに親切が身に沁みたのだから。いつか出会ったらお礼を言いたい。柏の街の人たちは温かかった、としみじみ思い返している。
これからも、いつ、どこで見知らぬ人のご厄介にならないとはかぎらない。そういう立場になっていることを自覚しておこう。歳をとったことへの自覚と反省である。(2004/2)
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